テレビ信州 こてつ河合の「タイムスリップ信州」 にて、弊社が紹介されました。

テレビ信州
こてつ河合の「タイムスリップ信州」
2022年8月2日放映



こてつ河合氏→こ:
アナウンサー 松井美幸氏→ア:
テレビ信州解説委員 伊東秀一氏→伊:
ナレーター→ナ:
弊社社長→社:
弊社専務→専:



ナ:これは、飯田市の老舗「いと忠」で作られている人気の和菓子です。




  特徴は、和の白餡と、洋のホワイトチョコレートのコラボ。誕生のきっかけは?


社:戦争に行こうとしたら、戦争が終わった
こ:あらっ? もし戦争に行っていたら・・
社:はい。私は居なかったし、いと忠も無かった
こ:いと忠も無かった?! なんか、凄い、運命ですね


ナ:特攻隊員の前社長、現社長の父親が終戦で生き残ったことで、地元で愛される生菓子が誕生しました


こ:これ良く考えたなぁー。んー
ナ:しかし人気が出るまでは、苦労の連続
専:その時は、私は毎日音(ね)を上げて、誰か手伝ってくれる人、応援してくれる人を、あの、お願いっ、て言って・・


ナ:夫婦の努力で人気となった生菓子の歴史にタイムスリップです。



ナ:この企画は、時空を越えて、信州の歴史を学ぶコーナーであーる

ナ:タイムスリップ


ナ:こてつかわいの「タイムスリップ信州」



(オープニング略)
ア:丁度、4時前ですので、お茶の時間、お菓子の時間ということで・・
ア:今日は飯田を代表する銘菓の歴史も出るということで


こ:知ってます?


ア:はい、もちろん。ただ、生まれた背景というのは、ちょっと知らないので、


  確かにあのお菓子って、良く知られてますよね。


伊:見覚えありますね。私、気になったのは、あれ、クリーム系なんですか? あんこ系なですか?
こ:あっー、それもちょっと、見て頂ければ・・・(笑)



こ:この後見て下さい。皆さん。

(中略)

こ:昭和35年に、飯田市の老舗和菓子店の、人気お菓子が誕生したんです。
こ:それではいきましょう。ターイム、スリップ



こ:やってまいりました、飯田市上郷にあります、「いと忠」さんでございます。




ながーく地元の方から愛されているお菓子のお店でございます。ねぇ、僕もそういう芸人にならなきゃいけない。ってことでねー、・・。いきましょ、いきましょう。
息のながーい芸人を目指して、店内へ



こ:いつから、やられているんですか?


社:「糸忠」という名前ですと、明治元年からです。
こ:「イトチュウ」という名前でいくと、明治元年?




社:はい。その前が糸屋ということで、糸の卸し問屋。
こ:上郷町で商売やられてた?


社:いえ、元々は知久町だったんです。


こ:知久町っていうと、あの、飯田の商店街?
社:はい、街中ですね。
こ:街中ですか?
社:はい。
こ:まずは、お店の歴史を知るために、明治元年に「いとちゅう」が誕生した、飯田市知久町へ行ってみました。
(移動)




こ:結構この商店街、昔から残っているお店も多そうな?


社:はい、多いですねぇ。・・・はい、ここです。


こ:おっ、ここの敷地が正にここに、「いとちゅう」さんがあった・・。
社:はい、糸忠の店がここにありました。もともとは、江戸時代の昔に、「糸」の卸問屋で、絹糸とかを、飯田城のお殿様に納めていた・・ということです。




こ:いとちゅうの「いと」というのは?
社:はい、絹糸の「糸」。
こ:もともとは、絹糸をご商売にされてたという・・
社:そうなんです。



ナ:江戸時代中期、安永時代の資料、十八町家並み帳の中に記されていました。
初代、横前忠吉は、糸問屋をしていました。


こ:ほら、こちら(家並み帳の中)ね。・・全然読めないけど・・
  糸、糸、が読めますか?


社:「糸屋」の「忠吉」さんで、糸忠、糸忠っていうふうに呼ばれていて、それが店の名前だったんです。


こ:あー、なるほど、通称で呼ばれてて、「いとちゅう」「いとちゅう」って呼ばれてて、それがお店の名前になったんだ。




社:そうなんです、糸屋の忠吉が、小間物屋、今で言うアクセサリーショップ
こ:あっ、はいはいはい。


社:芸者さんの簪とか、小物とか、そういうものを扱っていたんですね。
こ:それは、糸屋さんの次ですか?
社:糸屋の中に、
こ:糸屋の中に!?
社:糸屋の中に、そういう部門を・・
こ:あっー、そういうことか。



ナ:忠吉さんは、糸問屋の中に、当時需要があった、小間物店を始めます。
社:それから、その息子が伝次郎というんですが・・
こ:伝次郎?


社:はい、その時代には、「おもちや」さん。お餅を作ってるお店。
こ:ちょいちょい(職種が)変わってますね
社:はい、いろいろ、店が・・



ナ:飯田市図書館に保管されている「今昔家並み帳」をみると、「いと忠」が変わっていく様子がわかります。
明治時代は、「おもちや」。昭和になると、小間物や雑貨のお店として記されています。




その他にも、天ぷらなど、
そして、戦争が終わった昭和20年代になると、・・。


社:私の父親が、実は特攻隊だったんです。
こ:あらっらら、


社:(戦争に)行こうとしたら、戦争が終わったんです。
こ:あらっ。・・もし・・戦争に行っていたら
社:はい、私は居なかった、「いと忠」も無かった


こ:「いと忠」も無かった・・なんか、凄い運命ですね。
社:で、戦後、うちの父親が戻ってきて、お菓子屋を始めたんですね。
こ:お菓子・・代々商売換えてきた・・(笑)
  お父さんの代のお菓子屋やろうと、良く思いましたね。


社:その時点で「巣ごもり」というお菓子が・・
こ:あっ、なるほど



ナ:糸問屋から、小間物、お餅、雑貨など、歴史を重ねてきた「いと忠」は、昭和22年に菓子店になります。


社:ここに、そのころの店を撮った写真があるんです。


こ:あっ、こちら(写真)。なんか、凄い賑わって
  これ、あれですか、もしかして、お菓子ですか?
社:お菓子。生菓子でない、ケースに入った


  まだこのころは、糸屋の「糸忠」
こ:あっ、漢字だ。
社:今はひらがな
こ:この頃は漢字の。(お店の)奥行きありますね



ナ:昭和30年代の写真には、沢山の駄菓子ケースが並び、繁盛していた様子が伺えます。


実はこの白黒の写真、ご主人が今の技術を使って、カラー写真にしてくれたんです。
それがこちら、どうぞぉ。


はい、徐々に変わってきまーす、・・ほらっ、付きました色が、
ア:おっー
こ:どうですか?
伊:雰囲気わかりますね。


こ:ねぇ、雰囲気かわりますね。なんか、臨場感が出ますよねー。
  確かに 昔は
こ:このころの・・オレンジガム、たばこの形をモチーフにした
ア:あっー
こ:当時はお菓子の販売するだけで、お菓子づくりはしていなかったんですよ。


さらに、お菓子以外のものも売っていました。
社:(写真)ここに「具」ってあるのが、「糸忠釣り具」の「具」
  こっち(左)側では、釣り糸とか、釣り道具を売ってたんです。



こ:ここではどれくらいお菓子屋を?
社:ここではですね、私の生まれたのが昭和30年ですから、・・。
  実際始まったのが昭和22年なんですね。
こ:じゃ、生まれた時はここで。社長が生まれた時は、ここでやってた。
社:ずーとやっていましたから。


ナ:終戦で生き残った、父・博之は、昭和22年に、人々が喜ぶと考え、菓子店をスタート。当時の知久町は沢山のお店が軒を並べ、にぎやかな商店街でした。
市内には、かなりの数の菓子店があったようで、珍しい、お菓子の神様が祭られている場所があるというんです。それがこちら。
(今宮神社へ)


こ:社長、これはどういう碑ですか?
社:はい、これはですね、・・・といって、・・。
で、こちらが「菓祖」田道間守(たじまもり)といいまして、
こ:「かそ」?


社:「菓祖」、お菓子の「菓」・・、「菓祖」
そこで、お菓子組合、飯田の菓子組合が、毎年、春と秋にお祭りをして・・。


ナ:古事記や日本書記にも登場する、お菓子の神様「田道間守命」
  不老不死の樹とされる「橘」を求めて、中国大陸から日本へ持ち帰ってきました。
この「橘」が、現在のミカンの原種で、お菓子の起源とされているんです。


こちらでは、多くの菓子関係の人たちの名前が刻まれています。
こ:あっ、横前博之さんの名前もありますねぇ。
ア:お父さん、
こ:お父さんの


こ:凄い、お菓子、南信のこの飯田の地、盛んなんですかね。


社:盛んですね。結局「猿庫の泉(さるくらのいずみ)」というのが、
名水百選に選ばれていまして
ア:あっー、ありますね


社:特に、水の綺麗なところなんですね。
こ:それで、この、この辺で和菓子づくりが盛んな・・
社:はい。お茶とお菓子の組み合わせ
こ:お茶が美味しいと、水が美味しい
社:飯田城の城下町ですから、という意味でも、


ナ:お殿様への献上品や、お茶会など、飯田城下では、
お茶とお菓子の出番は多かったようで
美味しいお水を使ったお菓子、それができたそうです。
多いときには百軒近い菓子店があったんです。
ア:へぇー
ナ:昭和60年、飯田市上郷町に移転しました。



ナ:ここからは、「巣ごもり」の誕生秘話に迫ります。
(お店にて、試食しつつ)


こ:ホワイトチョコレートと、和菓子の餡を良く合わせたなと思うんですよ。
社:ほんとですね。考えたのは、ほんと凄いと思いますね。
こ:これ(巣ごもり)良く考えたなぁ~。
社:ねぇっ。
(CM中断)

(つづく)

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